富山県富山市
八尾町地域文化創造都市再生整備計画

 「おわら風の盆」で知られる富山県富山市八尾地域(旧八尾町)は、平野部の南端に立地した市街地と、背後の広大な山間地により構成されている。統合された山間地の小学校を地域のコミュニティ施設として転用し、地域住民が運営主体となって、市民活動や都市農村交流の場として活用することとなった。地域再生計画においては、このうちの2校の転用について支援措置の適用に加えて、モデル事業の導入による文化芸術イベントの開催、まちづくり交付金の創設によるJR八尾駅周辺地区等の都市再生整備計画策定検討が盛り込まれている。平成17年4月に周辺市町村とともに合併し、新富山市の一部となっている。

1. 地域再生計画策定について

(1) 地域再生計画事業内容

廃校のコミュニティ施設への転用

 10401 公共施設の転用に伴う地方債繰上償還免除
 10402 公共施設を転用する事業へのリニューアル債の措置
 10801 補助金で整備された公立学校の廃校校舎等の転用の弾力化


 山間部に立地する小学校の市街地への統合に伴い、地域の心のよりどころとであった施設をコミュニティ施設として転用し、地域住民が運営主体となって市民活動、都市農村交流の拠点として活用する。

 10803 文化芸術による創造のまち支援事業の活用(モデル事業)

 八尾市街地や山間部における文化芸術イベントの開催や「おわら」など重要な文化芸術資産を保存・再生・創造するための人材育成事業及び発信交流事業を実施する。

 212028 まちづくり交付金の創設

 JR越中八尾駅周辺の交通機能や商業機能の再生、コミュニティ機能や情報発信機能を強化する等の「日本の駅・八尾」スロータウンステーション整備事業として総合的に実施することを検討する。

(2) 計画策定の経緯

 旧八尾町長がスロータウン連盟に加盟したことから、スロータウンを旗印にまちづくりを進める意向を示していた。これに農政サイドのニーズが合致した形で、地域再生計画を申請する前年の平成15年に「越中八尾スロータウン特区」を申請した。特区の内容は、いわゆる農家民宿や市民農園の開設である。すでに平成8年から町直営の市民農園事業を立ち上げており、これが特区メニューの中で、民間でできるようになったことから、これを住民参加のための仕掛けとして使うことにした。

 地域再生計画は、廃校となる小学校の転用し、市民活動、都市農村交流の拠点として活用しようとするものである。地域の心のよりどころである学校がなくなることへの地元の要望に応えるとともに、施設を残すことが学校再編の条件のひとつともなっていた。地元との話し合いの中で、使えるものは使えばいい、ということになり施設のリニューアルが決まったという経緯がある。その実現の方策として、補助や起債などを探している中で、地域再生計画のスキームが使えるということになり、話が進んだ。


転用リニューアル対象となる野積小学校の屋内運動場

(3) 策定経過への住民参加

 各学校の転用リニューアルについては、教育委員会と地元とで、盛り込む機能などの内容を詰め、各校区ごとの活性化基本構想を固めていった。この構想策定と平行して、各地区ごとの農村振興整備計画を策定していたが、会議に出席する地元メンバーはほとんど同じで、発言する人も同じである。したがって、地域住民も同様の理念を有するものである考えている。

(4) 計画の位置付け

 一連の施策は、中山間地を中心とした農地を残し、耕作放棄地を活用し、町内への定住を促進しようとするものであり、こうした方向性は、既に平成9年に策定した旧八尾町の第4次総合計画に示されている。この総合計画は平成18年度が終了年度であり、以後の具体的な将来計画をもたないままに合併を迎えてしまった経緯がある。したがって、この地域再生計画の上位計画にあたるようなものは特にないが、現在の新市建設計画には、一連の事業は位置付けられている。

 旧八尾町では、平成9年に中山間地域活性化プランを策定するなど山村地域の活性化、定住促進などに取り組んできており、その中で、地域住民が参加できるような仕掛けを農業サイドで模索してきた。町長がスロータウンを掲げるなど、施策の方向性については庁内でも一定のコンセンサスはとれていたと考えている。

 

2. 地域再生計画の実施について

(1) 申請手続きについて

 申請にあたっては、基本的には町の企画部門と内閣府との担当者同士とのやりとりだけで進んでおり、県は事後報告に近い状態となった。認定後に、リニューアル債の適用部分がどこになるのか、といった細かい点について県とは若干のやりとりがあった程度である。

 作業の開始から申請が終わるまでには1か月程度を要したが、かなり早くできたと思っている。計画の策定途上で、特に他自治体の事例を参考とすることはなかった。参考となるようなところがなかった。初めてのことなので、戸惑ったことも事実であり、内閣府とのやりとりの中で、指導を受けながら計画を策定していった経緯がある。内閣府の役割は、こちらの要望を各省庁に伝え、各省庁がウンと言うように説得することであると考えている。

(2) 地域再生計画のメリット・デメリット

 学校の転用そのものについては、地域再生計画がなくても、例えば、合併特例債を使うなどにより、学校の転用は実現していたであろう。計画の認定後になってリニューアル債を使わず、合併特例債で事業を進めることになったため、実際に受ける支援は地方債繰上償還免除だけとなっている。

 しかし、地域再生計画のスキームがあったおかげで、話がスムーズに進んだという現実があり、そのおかげで新市の施策に盛り込むことができた。施設整備をレールに乗せることができた、というのは大きなメリットであった。

 また、地域や議会に対して説明がしやすくなったことがある。例えば、農業委員会などにおいて、農地の転用面積等を説明する際にも、特区になった、地域再生計画で認定されている、となると話が通りやすい。また、「なぜ山間地だけの施策」なのか、という市民からの意見に対しても、説明がしやすいところがある。

 PR効果もあった。町民に対して、町として駅周辺整備などに取り組む、との意志表示ができたことは大きい。これが後述するまちづくり協議会などへの動きにつながっている。

(3) 計画の効果

 地域再生計画においては、観光客入り込み数、中心市街地地元購買率、商品販売額の増加を数値目標として掲げているが、これらの指標はいずれも上向き傾向にある。

 観光客数については、平成14年には65万人だった観光入り込み数は、今年度は70万人を越えているものと思われる。観光のメインである「風の盆」の入り込み数はほぼ20万人程度で一定しており、その他の時期の入り込み数が大きく増加している。小売販売額、中心地市街地での購買率も増加傾向にあり、平成11年頃で底を打った感がある。中心地市街地での日中の歩行者数も増加している。

 また、山間地域での新規定住者も増加している。市民農園など一連の施策が始まる前からの移住者もおり、全体数は把握し切れていないが、各地区ごとに2〜3世帯ずつ、といった状態である。例えば、南部の大長谷地区だけでも10人程度は定住している。

 新規定住者には、かつては若い人が多かったが、最近は、リタイヤ層が増えている。中には全く農業経験がない人もいるが、そういう人は近所で支援するしかない。以前であると、「都会から変な人が来た」といった排他的なところもあったが、現在では、あまりに人が少なくなり、そんなことも言っていられない状態にある。それで、つきあいがうまく行っているという面もあるようだ。

(4) 計画への住民参画

 リニューアルした各施設の運営は、地元に任せることになっている。旧村単位での自治振興会が作られている地区があるが、市としては、今後は全ての地区で立ち上げてもらう方針である。旧八尾町は、昭和28年と昭和32年の2回の合併を経験しているが、自治振興会が設置されている地区は、合併の際のもめたところであるとも聞いている。リニューアルした学校の運営の受け皿も、この組織になるだろう。官製運営から地元へ移行させるスタンスである。施設の管理人は市から出すが、イベントを企画したり、人を集めてくるのは地元の役割であると考えている。

 また、旧八尾町全体の組織として、地元自治会や各種団体が主体となって「八尾町観光まちづくり推進協議会」を平成16年度に立ち上げている。観光まちづくりの整備計画の策定と推進母体としての位置付けになっており、一連の事業の評価についても、ここで行うことになる。

 今後は、この協議会での提案をもとに、地域再生計画にも盛り込まれているJR八尾駅周辺整備のまちづくり交付金事業につなげたい。合併により市の一部となり本庁としての企画機能が失われてしまったことから、協議会では八尾地域としての提案を出し、町役場がなくなった後のまちづくりの主体の役割を担うことを目指している。事業を進めるに際しては、地元ニーズの有無を問われるので、八尾としての具体的な提案が必要であり、そこを補強する役割である。協議会は、声を上げる組織であると考えている。

 協議会を立ち上げる際には、「観光まちづくり」なのか、「中心市街地」なのかといった基本的な視点での議論もあったが、八尾はやはり「観光」である、ということで、「観光まちづくり協議会」になった経緯もある。

 
JR越中八尾駅前

(5) その他
 町役場がなくなり、本庁としての企画機能も失われたため、八尾からのリアルタイムな情報発信は非常に難しくなっている。情報発信を担ってほしいという要望は多く聞かれる。また、各地域において、地域づくりをするプロデューサーのような人を育成して欲しい、との要望もある。